弁護士コラム

再び国の責任認める

弁護士 岡 正人

「おやじ、勝ったぞ」。勝訴判決を聞き、原告の一人、川崎武次さん(68)は法廷で一昨年に亡くなった父武雄さん(当時88歳)の遺影に静かに語りかけた。

武次さんの両親は約30年間、泉南市の石綿工場で働き、4人の子供を育てた。母梅子さんは退職後に胸の痛みを訴え、92年に68歳で亡くなった。武雄さんも99年に石綿肺と診断され、06年ごろから入退院を繰り返すようになった。「この肺で生きているのが不思議なくらい」。医師が驚くほど、病状は深刻で、呼吸困難で倒れることも。介護していた武次さんは「苦しみ続ける姿を見て、死んだ方が父は楽になれると思うこともあった」と振り返った。武雄さんは国や会社に対する不満をこぼしたことはなかったが、亡くなる1年ほど前、工場の元同僚に勧められ、裁判に加わることを決めた。動けない武雄さんに代わって武次さんが集会や国への陳情行動に参加した。
第1陣訴訟の大阪高裁での逆転敗訴(11年8月)で解決が遠のいたと感じ、この日も判決を聞くまで不安でいっぱいだった。
懸命に働いて高度経済成長期を支え、苦しみながら死んでいった両親。武次さんは会見で「判決はうれしい。国に控訴しないように訴え、私の代で解決させたい」と述べた。

以上は、平成24年3月29日、判決翌日の毎日新聞朝刊の記事です。大阪府泉南地域の石綿被害の救済を求める国家賠償訴訟において、昨年8月25日に出された「悪魔のような(高裁)判決」(原告談)のわずか7ヶ月後、大阪地裁第8民事部(小野憲一裁判長)は、一転して原告勝訴の判決を言い渡しました。

高裁判決後、しばらくの間、予想だにしなかった判決に、原告団・弁護団共に強いショックを受けていました。私個人も、正直言って今回の勝訴判決に確信を持てない状況でした。原告らも同じ気持ちであったに違いありません。こういう状況であったのには、それなりの理由があります。すなわち、今回の2陣判決が、昨年8月の大阪高裁と同じ管轄の下級裁判所で言い渡されるためです。憲法76条3項は「すべての裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される」と規定し、裁判官の独立を保障しています。しかしながら、裁判官といえども公務員であることに変わりはありません。また、上級裁判所の判決には、それに続く裁判に予測可能性を与えるという機能があると言われています。こうしたことから、高裁判決が著しく不当であるとの確信は持っていましたが、果たして大阪高裁の下級裁判所たる大阪地裁が、高裁がわずか7ヶ月前に出した判決に対して、真っ向から反対する判決を書けるのかということに強い危惧感を持っていたのです。

それだけに今回の判決は原告団にとってだけでなく、国にとっても非常に重い判決になりました。本原稿の執筆時(平成24年4月5日時点)において、国が控訴するかどうかわかりません(4月6日に国が控訴したため、原告団も控訴)が、原告団・弁護団は判決当日から、上京し国に対して控訴せず、原告らと解決に向けた話し合いのテーブルに着くように求めています。

「命あるうちに解決を」という言葉は単なるスローガンではなく、原告らの心からの願いです。今回の判決では、除斥期間や就労時期によって請求が排斥された原告もいます。しかしながら、自らの請求が認められなかった原告ですら、第1陣・第2陣を問わず、一体として解決することを強く望み、国に解決を求めています。国は、これ以上、解決を先延ばしすることは許されません。

国に問われるべきは、生命・健康は最も尊重されるべきであるという当たり前の正義か、工業技術の発達や産業社会の発展のためには生命・健康が犠牲になってもやむを得ないという産業発展の正義(利益)か。今、国に正義が問われています。

なお、私は、現在、和歌山市に居住されている被害者2名を担当しています。昭和40年代から50年代にかけて、泉南の石綿工場には、和歌山市から阪和線に乗って毎日、多くの労働者が働きに出かけていたそうです。もしご自身が働いていた、または石綿の病気で健康に不安を抱えているなどという方がいらっしゃれば、法律相談・医療相談にも応じますので、ご連絡下さい。

 

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